本年度も

逗子市、逗子教育委員会、逗子文化プラザとともに

逗子アートフェティバルの一環で、みんなでファッションショーを行いました。

みんなでファッションショーは、

多様な人達と同じ時間を共有し、混ざり合う社会を体現出来るイベントとして3年もは前からみんなでアートイベントとして続けています。

6月より製作企画を Mトワルである宮澤が行い、障害、多様な人とデザイン・ソーイングワークショップを重ねて準備を進めてました。

終わってみて なぜこれがしたかったのか はっきりと分かった気がします。

特に何らかの理由で身体に障害を持った人達は 自分の自由が削られていく瞬間 自分には自由が人より少なかったと気が付く瞬間 が必ずあり、

選択肢の少なさに憤りを感じたり口で言えない悔しさを感じたりしているはずです。何故なら社会は多数派のために作られているから。
そしてその障害は 簡単にその人の個性 などと言い表せるようなものではなく、かかえ付き合っていかなければならない現実なのです。

さらに その瞬間はこれから老後を迎えていく私達にも、間違いなくやってくるのです。

だからこそ
そんな過酷な毎日や日常を考えることも出来ないくらいの 強烈に強くて心焦がれるような夢や想いや楽しさや出来事が人には必要なのだとわかりました。

みんなでファッションショー2021モデル達

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みんなでファッションショーは 一瞬でもいつもと違う自分になれる

企業が服を売るファッションショーとは全く別の<祭り>としてのファッションショー。そんな時間にしたかった。

みんなでファッションショーの
デザインソーイングワークショップ

逗子文化プラザギャラリーホールをお借りして コロナを避けながら5日間にわたり行いました。
デザインが出揃い、ミシンをはじめて体験したりして
そうしている間にも通りがかりの方から 着物を提供されたり、お手伝いに加わって下さったり 中学生が一緒に絵をかいたり動画撮ってくれたり。街の人たちとの交流も出来きました。

モデルウォーキング練習

最後のワークショップは少ない人数でしたが、ウォーキングの指導ができる友人に頼み込んで 歩くところを見てもらいました。

とにかく 普通のモデルウォーキングはできません。
車椅子では 歩くような上下のリズムが作れません。視覚障害ではまっすぐ歩いていくこと自体が、なかなかの難問(ワンちゃんは隙間があるとそちらによって行くように訓練されている?) 片麻痺で颯爽と 歩けというのも難しい。

そんな彼らの特徴を 即座に読み取りアドバイスをくれた友人 さすがです。
止まり方、決め方、指先
ちょっとしたアドバイスが、みんなの気持ちを揺さぶりました。

矢部基子着付けドレスlive

今回のファッションショーの企画の中で もう一つやりたいことがありました。

着付けドレスのイージードレス デザイナーの矢部基子さんのライブショーです。
一枚のドレスを切らずに縫わずにドレスに仕立てるアイディアは
矢部さんの病気の体験から生まれました。

その体験と人生をスライドにしたのに なんと!私の不具合でスライドが流れず 会場の方に見てもらうことができませんでした。

ですので、こちらにのせておきます。本当でしたら、矢部さんのライブの間中背景に流れるはずだったものです。ごめんなさい。

矢部基子

その人生は幅広く多彩。
全ての選択に力強い優しさが
満ち溢れている。
激しい戦中、3か月の早産で
未熟児で生まれる。
当時木箱に入れられたと聞いた。
母はすぐに亡くなり祖母に育てられた。
母はどこかで生きていると聞かされていた。

<福祉との出逢い>
山の中にあった施設で1か月間暮らした。当時の福祉は、隔離された世界だった。
はじめて施設の子供を目にして
こんな子供たちがいるのを知った。
養護学校の教員になろうと考えたが、
一人娘をそんなところに行かせられないと親に反対された。

<世界との出逢い>

証券会社に就職しボーイスカウトのリーダーも務めた。東宮御所で、上皇(当時皇太子)の前で
ビルマ情勢について話す機会なども経験する。
州立カリフォルニア大学夏季セミナーでアメリカに渡り
まだ日本が着物スタイルの結婚式が主流だった時に
本場のたくさんのウェディングドレスを目にして驚いた。

<ミャンマーの学生の身元保証人>

アルバイト先の店員だったミャンマー人を助けたきっかけで、日本での身元保証人を頼まれる。
戦時の場合や様々なことを考えた末に
引き受けた。
優秀だった彼女は日本社会の一員として頑張り 大手企業に就職。変わりゆく日本の先を、
もっと見てみたいと感じた。

<ドレスの始まり>

夫が脳溢血で倒れ入院。
3年後自分も転落事故で脊髄圧迫骨折で
車椅子に。もともと車椅子だった母とで、3人の車椅子生活が始まる。
その転落の事故では、一生車椅子と言われた。 母と夫を介護し、
その後二人とも他界、気持ちも落ち込み誰にも見られたくない。
そんな日が続いた。
ある時、杖に自分で絵をかいたりして
デザインしてみた。杖を褒められるとまたそれを見せたくて
新しくデザインをした。
杖のデザインは 引きこもった自分を
外に連れ出してくれた。
次に人形に服を着せてみた。次第に服を着た人形と話すように
なってきた。
人形に着せ付けたドレスは 針も糸も使わない着付けのドレスの 原型になった。

次第に気持ちも明るさを取り戻し、
人に見せると褒められるので
少しずつ外にも出るようになっていった。

人形は孤独を癒した。
アートはそんな人の心を救う作用もある。

人形アート展は、北海道・金沢など、
神奈川県を飛び出して各地で開催。
アートドレス製作のワークショップの開催も回を重ねた。
活躍の場は広がり続け2015年、初めてのファッションショーを開催。

その後、2019年からは毎年逗子アートフェスティバルで、障害がある方や
シニア、多様な方たちにも着せ付けファッションショーを行う。
昨年にはロシアとの合作映画にも衣装が使われた。

開発した、一枚の布から
縫わずに仕立てるイージードレスは 2018年特許取得。
講師の育成と世界進出を目標としている。

そこにあるように 人生で誰にも会いたくない、何もしたくない、そんな想いの時に自分を外に連れ出してくれたものが、アートであり、お人形に着せ付けたドレスだったのです。

そのストーリーと矢部さんの心の強さを見ていただきたかった。本当に私はたくさんのことを学んでいます。

本番当日
これは書く必要がないくらい SNSでの拡散 カメラマンの写真の表情 たくさんのコメントが表しています。
モデル達は 驚くほど堂々と自分を楽しみ、自分のデザインを自信を持って着て表現していました。バックヤードにお願いした人たちも 最高に素晴らしく確実なサポートをしてくれました。
そしてなによりたくさんの交流が知らないところで生まれていました。

楽屋のレディアンと皆さん

スペイン語の会話 手話の会話 触る事での会話・・・
健常者と障害者がわかりあえれば、、なんてレベルではありません。
意外にも同じ障害を持つ人同士の交流がなかったことがわかったり。

デザイナーがいて きれいにかっこよく着せ付け歩いてもらうファッションショーとは 全く違うものができた気がします。
それも逗子アートフェスティバルの中でやれたことが とても嬉しくまた意義があると思いました。今回の撮影カメラマンも コロナ禍東京から逗子へ移住された方

海と山がある 穏やかでゆるやかな逗子に イベントを機に人が集まり 気にいれば住んでくれる。クリエイターが集まり 何か事が起きる。
それを見て また誰かが 暮らしを求めてやってくる。
子供が大きくなり 戻ってくる。
そこに みんなでアートのコンセプトでもある 障害があっても高齢でも大人でも子供でも認知症でもまざり合う 当たり前の風景が 海風とともに存在していたら
最高だと思います。

逗子の海岸